最終更新日: 2023 年 11 月 13 日。
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Ciclista Foot–Ball Club

全国選手権を制したLa Realの前身たるクラブ(:”Ciclista Foot-Ball Club”)のエスクードを紹介します。このエンブレムは今日に至るまで知られていませんでした。

このクラブは我々「Txuri-Urdin」の前身たる組織です。


Real Sociedad発足までの歴史

現在のLa Realの生みの親たるチームは、1905年にSan Sebastián Foot-Ball Clubというクラブ名で始動し、以後現在に至るまで試合を戦っています。発足当時はクラブ名のイニシャルである「SS」の青字のロゴが入った白色のシャツ+青いパンツという姿でプレーしていました(下記事/ロゴ画像参照)。

San Sebastián Foot-Ball Clubは、San Sebastián Recreation Clubに所属していた若手選手が分離する事により、創立されました(下記事参照)。San Sebastián Recreation Clubは1903年創立のVasconia Foot-Ball Clubに続き、Donostia-San Sebastiánにおける2番目のチームとして成立しています。


San Sebastián Recreation Clubは、元々は当時テニスクラブとして既に設立されていたReal Club de Tenis de San Sebastián( https://rctss.com/)のサッカー部門として発足したものでした。1905年には全国選手権(現在の国王杯)にも出場を果たしています。このチームは緑及び黄色のユニフォームを着てプレーしていました。

San Sebastián Foot-Ball Clubはスポーツ面で成長を続けていました。然し1908年の終わりに、少なくとも向こう1年間は(出場資格を有するチームとして、)政府を通じた認証/登録を受ける為の必要条件を満たせないため、翌1909年の選手権には出場する事ができない旨が明らかになりました。

この問題を解消するため、Club Ciclista de San Sebastián(政府を通じた認証/登録を受ける要件を満たす組織)とSan Sebastián Foot-Ball Clubの、両組織の統合が計画・実行されました(上記事参照)。Club Ciclistaとしての登録という形式は維持しつつ、新しいクラブとして名称の変更を経ています。


このようにして1908年11月29日にCiclista Foot-Ball Clubが発足しました。この統合の趣旨は、Club Ciclistaがこのサッカークラブの認証/登録をサポートし、且つクラブの収入面を支援する事でした。この結果、(Donostia-San Sebastiánにおいて、)サッカーがより人気を博するスポーツとなり始めました。


画像出典:GipuzkoaKultura

エスクードについて

1909年2月21日、20世紀初頭の有名且つ壮大なカーニバル祭のパレードが催行されました。パレードの2番目に、「Caravana ciclista」と名付けられた一隊の行進がありました。このCaravana ciclistaは、Ciclista Foot-Ball Clubからの代表参加者が自転車に乗ったものでした(下記事参照)。



ペダルを漕ぐ若者達の中には、後の国王杯優勝メンバーであるMariano LacortとTxomin Arrillagaも含まれていました。彼らは2つのCとFの文字を組み合わせてできた《CFC》のエンブレムを伴っていました。

《CFC》のモノグラム(:組合せ文字)はCiclista Foot-Ball Clubのイニシャルを示すものです。1909年、誤ってClub Ciclista de San Sebastiánが国王杯のタイトルを獲得したとされていますが、私達はCiclista Foot-Ball Clubこそが、当時国王杯のタイトルを獲得したチームの正式名称である事も主張したい意向です。

このCaravana ciclistaの写真(下参照)は私達が把握する限りで今日に至る迄、Ciclista Foot-Ball Clubのエスクードが映る唯一の写真です。原型を参照した再生プロセスが、愛好家達の手で、再構築の為の計画を練る所から着手し、エスクードの復活/回復に向けて取り組みました。

2つのCの字のデザインについては、当時の他のモノグラムやエスクードから把握する事ができます。一方、両端の形が明白に不均衡で、上部が誇張され、下方は細くなっていく形のFの字はそうはいきませんでした。

私達のクラブが創設された時代、エスクードにモノグラムが含まれている / モノグラムそのもので構成されているのは一般的な事でした。(かつてのエスクードについて)存在が維持されてきたものがあれば、後に回復 / 再解釈されたものもあります。また、最近創成されたものもあります。

Ciclista Foot-Ball Clubのエスクードの再構築に取り組んだ当初は、同時代のチームのいくつかのエスクードの様式に沿って行う事を考えました。然し後になって、カーニバル祭における山車の写真に載っている実物の解釈に取り組む事で、他チームのエスクードの参照の程度を低減させる事としました。

1905年以降の《Txuri-Urdin》について

Ciclista Foot-Ball Clubは、San Sebastián Foot-Ball Clubと同じカラー(白地に青色のボーダーラインが入り、胸にモノグラムのエスクードが入ったシャツ&青いパンツ)のユニフォームを着て、プレーし始めました。

1909年3月、チームは現在私達が知っているものにユニフォームを変更しました。Txuri-Urdinとして行った最初の試合は、同年3月7日に、Racing Club de Irún(現在のReal Uniónの前身)を相手にVelódromo de Atotxa(当時のホームスタジアム)で開かれました。

以下の2点を明確に示す事は重要なことです。
⦿Ciclista Foot-Ball Clubが1909年に国王杯のタイトルを獲得した事。
⦿1928年にLa Realが現在のスペイン1部リーグの、10クラブから成る初期メンバーの内の一つになる権利を得た事。

Sociedad de Foot-Ballの創設は自転車競技選手とサッカー選手の分離により起こりました。その11ヶ月前に統合した彼らは再び分離する事となりました。但し、新生組織においてもCiclista Foot-Ball Club時代から引き続きSociedad de Foot-Ballのサッカー部門の選手、クラブ役員として前身たる在籍し続けています。


CFCのモノグラムに加え、再生プロセスにより、私達はSan Sebastián Recreation Club及びSan Sebastián Foot-Ball Clubの両クラブのエスクードを”享受/発見”しました。

上画像最下部のエスクードは、おそらく1909年のSociedad de Foot-Ball創設以降La Realの私達のクラブ旗にあり続けています。


Caravana ciclistaが写された写真に引き続き、私達は自分達がLa Realの成り立ちについてより多く、そしてより良く把握するのを助ける新たな写真 / 文書が現れる事を期待しています。

私達はこのWebページという空間を開設しました。Twitterの一連のツリーでも同内容を紹介しています。然し、今後更なる紹介、拡張を予定しています。


クラブ(La Real)同様ファンの皆さんが、私達の物語 / La Realの歴史の一部を成す1909年の国王杯タイトルを獲得したチームのエスクードに思いを馳せるようになれば、それは素晴らしい事です。